体育会系企業の営業辛さ!新卒大手から転職して楽しい日々

体育会系企業の営業辛さ!新卒大手から転職して楽しい日々

私は新卒で約6,000名の大企業に入社致しました。

 

 

入社前は特にやりたい事がなく、大学の教授から、営業しか仕事はないと言われたため、営業で就活をしておりました。
大手志望の傾向が強く、まずは聞いた事がある企業へエントリーし、説明会にも参加致しました。

 

 

1次面接には合格するも、以降の面接で深い質問をされると答えられなく、約50社の企業に落ちました。
周りの友人が採用される中、焦りと不安の毎日でしたが、やっと大学4年生の6月にメーカー系の子会社の内定を頂きました。
どのような仕事内容は把握しておりませんでしたが、世界企業の子会社であり、事務所も好立地という事もあり、即入社を決めました。
同期は全国で370名おり、大企業に入り、家族も非常に喜んでおりました。

 

 

 

しかし、そこからが地獄の始まりでした。

 

 

入社から3カ月間は東京の研修センターで缶詰状態にされ、朝から晩まで講習を受け、テストに合格するまで帰れないという日々。
さらに3カ月後には、東京の雑居ビルを飛び込み訪問し、名刺20枚を貰うまで帰社は許されないという試練が待っておりました。
中には泣いて帰ってくる人や、街中のサラリーマンに声をかけ、名刺を集めてくる人もいました。

 

 

 

毎朝、円陣を組み、気合いを入れて出発してました。
講習の中には、上司に怒られる講習まであり、かなり体育会系の会社だという事を実感しました。
私自身、体育会系で育ってきたので、自信はあったのですが、

 

 

 

あまりにも根性論が根付いており、将来的には不安な気持ちでいっぱいでした。
そんな研修も終わり、各営業所に配属されました。

 

研修とは違い、営業所は和やかな雰囲気でした。
当時の支店長は、脱・体育会系を目指しており、より効率的に仕事をする事を教えられました。
そこで6年間、営業を行い、ある程度の実績も上げ、何不自由のない生活をしておりました。

 

 

しかし、リーマンショックが起こり、会社の数字は一気に赤字となりました。
創立30年にして、初の赤字という事もあり、支店長は左遷されました。

 

 

 

新たな支店長は、バリバリの体育会系。

 

 

就任するなり、「倒れるまで働け、売れるまで帰ってくるな」という言葉を投げかけられました。
そこから会社は大きく変わり、朝早く来て、遅く帰る人が評価され、様々な手当もカットされ、多くの仲間が辞めていきました。
数字が達成できない人は全員の前で反省文を読まされ、叱責される人がほとんど。

 

 

 

私は運が良く、数字はいつも達成できましたが、いつもどこかで誰かが怒られているのは、不快に感じてました。
私自信、営業は数字がすべてだと思っていますので、怒られるのは仕方ないという考えでした。
しかし、リーマンショックの影響は強く、会社の数字が上がりませんでした。
そこで支店長が言った事は、「気合いが足りない」でした。

 

 

 

毎朝、外出前に喉が枯れる程、今日の意気込みを叫んで外出するという日課が課されました。
やる時はしっかりやり、遊ぶ時は遊ぶというメリハリもあり、上司部下関係なく、休日も遊んだりという良好な関係が次第に崩れ、社内はギスギスしていきました。

 

 

 

脱・体育会系に賛同していた私にとっては、苦痛の毎日でしたが、いつか支店長が変われば大丈夫と思っていました。
そこから1年、仲間たちは辞めていきましたが、私はなんとか耐えていました。
入社して7年たった日、初めて社長とお酒を酌み交わす機会がありました。

 

 

 

入社式以来に会い、せっかく機会なので、支店長のせいで仲間が辞めていった事を社長に報告しました。
私は会社のためを思って言ったつもりでしたが、社長からは叱責を受けました。

 

 

体育会系の体質に戻そうとしていたのは、社長だったのです。
社長は前支店長の脱・体育会系の考えが許せなく、自分の右腕を送り込んだのです。
将来性に不安しか感じられなくなったため、そこで私は転職を決意しました。

 

売り手市場で、大手メーカーの名前もあるため、転職はほとんど合格。
一番将来性のある企業に転職しました。
今は何の不満もなく、日々仕事に打ち込んでいます。
辞めて初めて思いましたが、非常に良い経験が出来たと思っています。